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フリースクールの自律性

学校のように上から押しつける教育はもう古い、これからは子どもが主体的に学ぶ仕組みをどうつくるかだ。 そういう議論は、だいぶ以前からある。先日、宝塚で開かれた登校拒否・不登校を考える夏の全国合宿においても、くり返し、こうした発言があった(寺脇研さん講演会、シンポジウム「多様に育ち多様に生きる」など)。 その趣旨自体はわかるのだが、どうも時代とズレているように感じるのはなぜなのか、考えながら聞いていた。その理由はたぶん、学校を「画一的で多様性を認めていない」と批判しながら、フリースクールなどを学校に対置している構図にある。 今なお、学校が画一的で多様性を認めていないのはたしかだろう。しかし一方で、そういう学校を改革せよというのは、市場からの要請でもあって、ずいぶん前から教育改革は行なわれてきている(80年代の臨教審以降)。フリースクール的な言説と新自由主義的な言説は、画一的な学校を批判するという点で類似する。しかし、学校の画一性が緩和する一方、拡大しているのは市場ばかりで、NPO的な取り組みは、むしろ衰退してきている。フリースクールなどは、市場に対しての自律性をどう保てるのか。 たとえば、かつてフリースクール関係者はサポート校を厳しく批判していた。しかし、現在はフリースクールでもサポート校化してきているところが増えている。合宿会場にもサポート校の資料が山積みされていた。私は、サポート校の存在そのものを否定すべきだとは思っていないが、サポート校は、いわば塾産業の一形態だ。それゆえ、10年ほど前は、フリースクール関係者はサポート校を厳しく批判していた。とくに、フリースクールを名乗るサポート校に対し、「サポート校はフリースクールではない」と指弾する声も高かった。それがいつの間にか、古くから活動しているフリースクールも含めて、サポート校を併設するようになっている。 NPOとして活動している団体が、市場に対する自律性を保てていない。フリースクールなどが市場に呑み込まれてしまうのであれば、資金力のある塾産業が残り、フリースクールは市場から淘汰されてしまうだろう。 あるいは、行政との連携という面でも、かつてと比べて連携する団体は増えたが、こちらも自律性が保てなければ、行政の安い下請けとなるばかりだ。 このあたりの問題意識は、これまでにも何度か述べてきているのだが、ピン