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「不登校」の枠組みでは捉えきれない

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 文部科学省の 調査 によると、2021年度の不登校の小中学生は、過去最多の24万4940人(小学生8万1498人、中学生16万3442人)で、前年度比25%の増加、10年前と比べると2倍以上に増加した。とりわけ小学生の増加割合が大きく、不登校の小学生は10年前と比べて3.6倍となった。また、全児童生徒に占める不登校の割合は2.6%(小学生で1.3%、中学生で5%)となった。 ここで、そもそも不登校とは何かを確認しておくと、文科省の定義は下記のようになっている。 何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない、あるいはしたくともできない状況にあるため年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの。 つまり、長期欠席者の一部が「不登校」ということだ。かつては「病気」や「経済的理由」による長期欠席者のほうが多く、「不登校」は長期欠席のなかでも例外的というか、残余カテゴリーのようなものだった。ハッキリとした理由が見あたらないにもかかわらず、長期に学校を休む子どもがいて、それが「不登校」としてカテゴライズされた。1966年では、長期欠席のうち「不登校(学校ぎらい)」は2割程度。それが、だんだん「不登校」の割合が増えていって、近年は7割前後で推移していた(*1)。そのため、長期欠席=不登校というイメージが強くなっている。しかし、2021年度の数字を見ると、そこに変化が起きているようにも見える。 2021年度の長期欠席者は小中学生で41万3750人、前年度比44.5%の増加で、全生徒に占める割合は4.3%(小学生で2.9%、中学生では7.1%におよぶ)。長期欠席の内訳は、「病気」5万6959人、「経済的理由」19人、「不登校」24万4940人、「コロナ感染回避」5万9316人、「その他」5万2516人で、長期欠席に占める「不登校」の割合は59.2%だった。「コロナ感染回避」は前年度比2.8倍、「その他」は2倍となっており、「不登校」の1.25倍より、大幅に増加率が高い。つまり、長期欠席でも、「不登校」以外の理由が大幅に増えているのだ。ただし、そもそもこの内訳自体、教員が記述したものであって、実態をどこまで反映しているかはわからない。たとえば、「経済的理由」が全国で19人しかいないというのは、いかにも疑わしい(*2)。また、コロナ

書評:栗田隆子『呻きから始まる 祈りと行動に関する24の手紙』

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おそろしいほど正直で誠実な本だと思った。 この本は、著者の栗田隆子さんの個人史でもあり、そこから読者へ宛てられた「手紙」でもある。栗田さんは、不登校(登校拒否)の経験に始まり、カトリックとの出会い、フェミニズムとの出会い、社会運動との出会い、うつ病との出会い(?)など、さまざまな出会いのなかで、活動してこられた。その行動の表面だけを見れば、支離滅裂なように見えるかもしれないが、私は、とても首尾一貫しているように感じた。なんというか、徹底して自分に正直に生きているのだ。自他に対して、おべんちゃらを言ってごまかすようなことがなく、それゆえに組織などとは折り合いが合わず、組織の代表を引き受けていても、ぶん投げてやめてしまう。ただ、それは自分で自分をコントロールしてやっていることではなく、自己コントロールを超えた何かに導かれるようにして、自分の正直なところと向き合うなかで、自己決定された結果なのだろう。それは、「呻き」でもあり、「祈り」につながっているのだと思う。 私たちが何を「問題」とし、何を「問題」としないかというその線引きの仕方こそが、 目につきにくい「問題」ではないでしょうか。そして、そのような苦しみや悲しみを既存の「問題」の枠組みに無理やり当てはめるのではなく名前がないままに受けいれること、その実践の第一歩が私にとっての「祈り」だったと言えます。(#24心に留めること/糧) 詳細は、本書を読んでいただくとして、私は栗田さんの「手紙」を受けとって、自分が自分に正直であるか、ものごとを既存の問題の枠組みに当てはめてわかった気になっていないか、自分の足下の問題をちゃんと見ることができているか、足下を問わずに言葉だけ饒舌になっていないか、などなど、さまざまな自問が湧いてきた。その自問については、また、折々に言葉にしていきたい。 この本をひとつの「糧」とするならば、この「糧」は多くの人と分かち合いたい。あるいは、この本が一粒の「麦」だとすれば、読者のもとに落ちてこそ、実るものがあるにちがいない。この「麦」が、ひとりでも多くの人のもとに落ちますように。

不登校と「がんばる」問題

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不登校が問題になったのは、高度経済成長期とともに、というところがある。それ以前は、農業や漁業や自営業などで働いている人が多く、中卒で働く人も多かった。学校の価値は低く、長期欠席する子どもも多くいたものの、いまのように問題視されることはなかった。あるいは、子どもが労働力だった時代にあっては、子どもにとって学校というのは、生活や労働から解放される場だったと言える。 ところが高度経済成長期に入ると、第一次産業が衰退し、あるいは自営業ではやっていけなくなり、雇われて働かないと生きていけないような社会状況になっていく。それとともに、高校や大学への進学が重視されるようになり、学校の価値が高まり、学歴で人が振り分けられるようになる。学校は将来のために行かなければならない場所となり(それは学校が「労働からの解放の場」から「教育労働の場」に変わったとも言えるだろう)、少しでも休めば、たちまち問題視されるようになった。「学校信仰」のような規範は、そうした社会変動のなかで生み出されたものだったと言える。 人が古い共同体から引き抜かれて、市場で流通する労働力商品となって、その商品の値段は学歴によって決まるので、高学歴化が進む。しかし、引き抜かれてしまった不安は常にあって、だからこそ学校の価値を信じないとやっていけず、その価値を揺るがすような存在は許せなくなる。不登校は怠けだとか甘えだという偏見や抑圧がもっとも強かったのは1980年代ごろだと思うが、それは「学校信仰」を多くの人が持ちながらも、その底には大きな不安を抱えていたからだったのだろう。 90年代以降になると、バブルは崩壊し、雇用が流動化し、学校を出たところで安定した雇用は保障されなくなる。とりわけ高卒求人が激減し、大学進学率が上がったものの、それに応じて安定した雇用の枠が拡大したわけではなく、むしろ縮小し、いったん正規雇用に就いたからといって、安定した雇用が保障され続けるとはかぎらなくなった。 そうしたなか、不登校をめぐる言説も大きく変容していった。80年代ごろには不登校は個人病理のように言われていたが、それに対する対抗言説として個性として語られるようになり、しだいに多様性のひとつとして認められるようになっていった。それは運動の成果というよりも、上記に粗描したような社会構造の変化ゆえだと思うが、当事者の側には、自分たちのことが社会に