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なたまめの話-2

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なたまめの話 、つづきを書こうと思いつつ、諸事雑事に追われて、ひと月も経ってしまった。そのあいだに、さやは30㎝ほどの大きさとなり、まさしくナタの様相を呈している。若いさやは、そのまま食べられるというので、小さいものは湯がいてカレーに添えたりして食べてみたが、コクがあっておいしかった。  断面はこんな感じ。 さて、このなたまめは北村小夜さんからいただいたのだが、北村さんは、伊藤ルイさんからいただいたそうだ。つまり、私がいただいたのは、伊藤ルイさんの豆の末裔ということになる。不勉強で、伊藤ルイさんという方を存じ上げていなかった私は、なたまめを通じて、伊藤ルイさんのことを知ることになった。調べてみると、本名は伊藤ルイズさんで、なんと伊藤野枝と大杉栄の四女だった。ご自身が1歳のとき、関東大震災のどさくさにまぎれて両親を官憲に殺害され、その後は野枝の実家で育つ。その際、名前は留意子と変えられて、長く両親のことは隠すように生きてきたそうだ。1982年に出版された『ルイズ 父に貰いし名は』(松下竜一/講談社)をきっかけに自分の半生を明らかにし、あらためて伊藤ルイと名乗り、その後、さまざまな市民運動に関わり、自分でも著作を発表するようになるが、それは還暦を越えてからのことだった。 ルイさんは「もっと冴え冴えとした私でありたい」「死へいたる残された生を楽しんでいる」と語り、1996年、74歳で亡くなるまで、精いっぱい活動されておられたようだ。ルイさんの著作もいくつか読んだが、関わった運動は、朝鮮人被爆者の問題に始まり、死刑廃止運動、原発問題、ピースボートなど、多岐にわたる。しかし、その根っこにあるのは、素朴とも言える、生命への信頼のようなもののように感じた。ルイさんは言う。 50年60年、この掌は大根、人参、蕪、ほうれん草、キャベツ、果実、米を揉み、絞り、皮をむき、洗い、あらゆる食べ物がまずこの掌を通っていく。口で食べる前に、まず「掌」が食べているのだ。料理をする女、炊事をする女は、これをしない男に較べて大きな「得」をしている、と思う。(中略)長いながい年月の得が女の生命を延ばしているのかもしれない――私の思考も伸びていく。(『海を翔ける 草の根を紡ぐ旅Ⅱ』八月書館1998) 実に伸びやかだ。そして、大杉栄や伊藤野枝が拠っていたアナキズムとい