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オルタナティブな「選択」が揺らぐとき

このところ、関わりのあった人を見送ることが立て続いた。人が亡くなるということは、それ自体は必然ではあるものの、その人の亡くなり方や、それまでの生き方によって、こちら側には、いろいろな思いが残される。そのなかのひとつを、少し書いてみたい。 ある知人は、長年、ガンとつきあってこられていた。甲田療法などで、玄米食を中心とした生活をして、西洋医学に頼らずに、十数年、ガンと共存してこられていたのだ。それを誇りにしてもおられたように思う。しかし、ガンが進行し、緩和ケア病棟に入られて、私たちがお見舞いに行った際、その方は「抗ガン治療を受けておけばよかったかもしれない」と、つぶやかれた。私は返す言葉もなく、ただ、うなずくほかなかったのだが、そういう揺れる気持ちは、けっして抑圧してはいけないと思った。誰だって、死に直面すれば揺れるだろうし、そこまでの局面ではなくとも、自分が正しいと思って選んだ道が、ほんとうに正しかったのか、揺れることはあるように思う。 たとえば、学校に行かなくなって、フリースクールやオルタナティブ教育を選んだという場合でも、同じようなことはあるだろう。いまの学校のあり方に問題意識をもって、別のあり方を模索する。しかし、何か厳しい局面に立ち会ったとき、ほんとうにこれでよかったのかと迷ったり、揺れたりすることはある。だからといって、それがまちがいだったという単純な話ではないけれども、そこで揺れる気持ちは、抑圧してはいけないと思う。その抑圧は、学校に行かないことは悪いことだという抑圧よりも、さらに深い抑圧になってしまうように思うからだ。 不登校というのは、拒否反応のようなもので、「選択」ではない。病気というのも、けっして「選択」ではないだろう。しかし、フリースクールやオルタナティブ教育、あるいは代替医療などは、その人の「選択」だと言えるだろう(親が選んだのであって、子ども本人が選んだわけではないということは多々あるが)。あるいは、低学歴のまま生きていくとか、医療に頼らずに生きていくと決断するのも、ひとつの「選択」と言えるかもしれない。しかし、その「選択」の結果は、自己責任として問われることにもなる。だから、何かうまくいかない状況に直面したとき、自分の選択はこれでよかったのかと思い悩むことにもなる。しかし、そもそも人が生きているというのは、迷ったり悩んだり、葛

仮説「蘇我馬子は生きている」

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不登校新聞の連載「仮説なんですが」に、仮説を書いた(483号/2018.06.01)。私の仮説は「蘇我馬子は生きている」説。編集部の了解を得て、全文を転載させていただく。 奈良県明日香村にある石舞台古墳は、蘇我馬子の墓と言われている。巨大な古墳だったようだが、盛土は取り去られ、石室だけがむきだしになって残っている。古代日本の礎をつくったのは蘇我氏らしいが、「大化の改新」でクーデターを起こした天皇家によって蘇我氏は殺害され、悪者にされたあげく、蘇我氏の業績の数々は、すべて「聖徳太子」という架空のスーパースターの功績にされてしまった。この説については、いまでも教科書の記述をどうするかなど論争があるのだが、ほんとうだとすれば、勝てば官軍で、負けた側の声は、葬り去られたうえに、収奪されてしまったことになる。 歴史は、そういうことのくり返しなのだろう。昔から「改ざん問題」はあるのだ。しかし、勝った側が安泰かと言えば、うしろめたさは常にある。だから、たとえば藤原氏なんかも、政敵として左遷した菅原道真を神さまにして祀ったりしてきた。負けた側のうめき、もっと言えば、民衆のうめきみたいなものを、勝った側=権力は常におそれている。 権力争いの場だけではない。あらゆる領域で、そういうことは起きているだろう。たとえば社会運動なんかにおいても、その初期においては、古代豪族のせめぎ合いや、戦国時代の群雄割拠のごとく、いろんな「声」がせめぎ合う。ところが、だんだん力を持つ人たちが出てきて、その人たちの語るストーリーに「声」は回収されてしまう。負けた側の「声」は、なかったことにされるだけではなく、都合よく回収されて収奪されてしまうのだ。 不登校の歴史においても、同じことはあるのではないだろうか。さまざまの、負けてしまった「声」たち。表には出てこない、埋もれてしまった「声」たち。でも、そういう「声」は、時間を経ても、埋もれつつも、けっして消えることなく響き続けているのだと思う。 勝った側のストーリーだけが「声」だと思いたい人には、そういう「声」はノイズでしかない。だから、ノイズリダクションをかけて、なかったことにしてしまう。でも、ストーリーに回収されないノイズ、うめき、さまざまな「声」は、いつか物事を動かす力になる。必要なのは、そこに耳を傾け続けることだ。そういう「耳」は、