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アベノソンタクは対岸の火事ではない。

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安倍首相が肩入れしたとみられる学校に、さまざまな忖度が働いて、規制緩和やら土地の売却やら、神風が吹いたごとくにスムースに物事が進んでいたという。安倍首相は関与を否定しているそうだが、安倍首相とともに急速に動いたできごとは、フリースクールについても起きていた。 2014年9月10日、 安倍首相はフリースクール東京シューレを訪問 。フリースクール支援の検討を指示し、下村博文文科大臣(当時)もフリースクール支援を言明。文部科学省にフリースクールプロジェクトチームを設置し、担当官を置いた。翌2015年1月にはフリースクール等検討会議を発足、5月に議員連盟が多様な教育機会確保法を提案。バウチャー制度のようなものを成立させるつもりだった。その後、法案をめぐる議論は紛糾して、法律はまるで別物になって成立したわけだが、どさくさにまぎれて、ろくに議論のないまま原案が成立してしまう危険も高かった。まさに神風が吹いたごとく、動きは急だった。 首相官邸ホームページより 私が安倍首相フリースクール訪問の情報を得たのは、訪問前日のことだった。そこで、すぐに ブログに記事を書いた のだが、その際に指摘したのは、フリースクール議員連盟と親学議員連盟のメンバーが重なっている、ということだった。親学というのは、伝統的子育てを謳い、日本会議などにもつながる、保守主義の教育論だ。 規制緩和は、フリースクールなどのためだけではなく、親学に代表されるような保守主義の教育にも道を開くものだったと言えるだろう。そういう意味では、森友学園事件は、フリースクールともつながっている問題だ。 教育機会確保法が成立して、その活用ばかりを考えているフリースクール関係者も多いようだが、森友学園事件は、フリースクール関係者への警鐘でもあると私は思う。

『名前のない生きづらさ』刊行にあたって

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なんだか、もやっと生きづらい。名前(肩書き)がなくて生きづらい、あるいは自分でも名づけようのない生きづらさを感じている。そういう感覚は、いまや多くの人が共有しているものになっているように思います。しかし、そんなことを言っていると、専門家からは、「不登校」「発達障害」「ひきこもり」「ニート」などなど、いろいろに名づけられて対処されてしまいます。でも、どれもこれも、当事者の実際とはズレているように思えます。 このたび、 『名前のない生きづらさ』 という本を出しました。 共著者の野田彩花さんは、そういった名前と自分とのズレを、その裂け目に深く深くダイビングするように潜って、そこから言葉をつむいで書かれています。無礼な名づけの呪縛を、身をよじってほどいている、と言ったらよいでしょうか。 私のほうは、「不登校」だとか「ひきこもり」だとか、名づけのいちいちを問い直しました。教育機会確保法と不登校とフリースクールなどの「ねじれ」についても書いています。 また、「 なるにわ 」の活動についても、1章を設けています。本書も、「なるにわ」というお庭に茂った枝葉のひとつとも言えます。「なるにわ」を知っていただく機会にもなればと願っています。 とはいえ、本を買うにも、お金のかかるもの。懐事情の厳しい方は、図書館にリクエストしていただければ、と思います。また、読んでくださった方は、忌憚のないご意見ご感想をお寄せいただけると、たいへんありがたいです。よろしくお願いします。