「逃げる」と「選ぶ」
不登校をめぐって、「つらかったら、学校から逃げてもいい」「学校外にも学ぶ場はあるから選んでいい」ということが、よくメディアで流布されるようになった。しかし、「逃げる」と「選ぶ」は筋のちがう話で、どうも混同があるように思えてならない。 「逃げる」というと、ネガティブな行動に見られがちなので、「不登校は逃げじゃなくて選択なんだ」と言いたくなる気持ちはわかる。けれども、逃げることはネガティブであっても必要なことで、積極的に学校外で学ぶという「選択」でなければ逃げることさえできないということになれば、かえって逃げ道をふさぐことにさえなりかねない。 何も積極的な意味などなくても、ときに逃げることは必要だ。逃げることを否定視するまなざしこそ、問い返さなければならない。 また、不登校をしている人のなかには、一時的には逃げても、学校外で学びたいわけではなくて、学校にもどりたいという気持ちの人も数多くいる。いずれにしても「学校しかない」という見方は相対化される必要があるにちがいないが、そういう気持ちを「学校にこだわっている」という見方で切り捨ててしまってはいけないだろう。 私も、学校以外に多様な学び場は必要だと思うが、それと不登校とは、重なる部分はあっても筋のちがう話だ。それを混同して語るとき、「逃げる」ことは、かえって抑圧されてしまうのではないか。そう思えてならない。 >関連記事 ・「行けない」と「行かない」 ・不登校の認識で誤解があると思うこと ・「不登校は○○じゃない」という呪縛 ・選択ストーリーにさよならを