投稿

10月, 2015の投稿を表示しています

馳大臣の教育観と多様な教育機会確保法案

問題になっている、馳浩と義家弘介の対談記事(『正論』2008年6月号)を読んだ( 勝山実氏のブログ より)。自分が体罰をしていたことについて、馳文部科学大臣は過ちを認め、当時の被害者である高校生への謝罪を含め、体罰を否定する見解を示した。しかし、この記事自体では、体罰は否定されていない。また、義家文部科学副大臣からは、いまのところ何の見解も示されていない。体罰に関して、義家議員は明らかに肯定している。文部科学副大臣として、きちんとした見解を早急に示すべきだろう。 体罰に関しては、すでにさまざまな意見が出ているので、これ以上は置くとして、この記事で、私が気になったのは、馳議員の教育観だ。 まず、馳議員は先の教育基本法改正について、次のように述べている。 「教育は不当な支配に服することなく…」という件が日教組によって解釈を歪められ、公権力の行政行為を全て不当な支配と決めつけて排除してきた。文部省は予算をつけてくれさえすればいい。現場は現場の判断で自由に、というより勝手にやれるのだという誤った解釈が罷り通って教育現場を蝕んできたのですね。新基本法でも不当な支配という文言は残った。公権力も不当な支配の主体となりうるという解釈自体は今までと変わっていません。が、それでも教育は法律に則って行うことが明記されたのです。法律を逸脱して勝手なことはできなくなった。これは本当に大変な作業だったし、数多ある基本法改正の論点のなかでも本丸中の本丸だった。大事業だったのです。 そして、次のような見解も示している。 地方分権の名の下に教育が蔑ろにされていないか。(中略)地域の学校は学力面で不安はないのか。偏向教育が横行したり学習指導要領が無視されていないか…など確かめる必要がある論点は無数にあると思うのですね。 これらの見解と多様な教育機会確保法案は、根本的に矛盾するものと思われる。とくに、個別学習計画について、馳議員はくりかえし「不登校やフリースクールの現状を追認するもので、個別学習計画での教育内容も、学習指導要領に沿うものを求めているわけではない。本人の意思を十分に尊重した内容が認められるべき」と述べてきたが、上記の見解との矛盾は、どのように考えているのだろうか? 馳議員にうかがいたいところだ。 10月20日に開かれる「 多様な教育機会確保法【ここまできた!!報

あらためて、多様な教育機会確保法案について

前国会への上程が見送られた「多様な教育機会確保法案」について、少し書いておこうと思う(この間は、づら研企画でオーストラリアに渡航していたりして、なかなか情報をキャッチアップできていなかったり、ブログに書く余裕がなかった)。 法案は、各党内でも異論が相次いで、各党内で調整をはかることになったと言う。とくに自民党内でも異論が多かったことから、当面の焦点は自民党(とくに文部科学部会)で、法案がいかに論議され、場合によって、いかに修正されてくるかになるだろう。9月15日の議連総会以降、これまでに自民党内で3回ほど勉強会が開かれたようだ。秋に臨時国会が開かれれば、そこに上程される見込みだ(しかし、そもそも臨時国会が開かれるのかどうか、わからない)。 この間、フリースクール全国ネットワークと多様な学び保障法を実現する会は、法案への理解を求めて、 全国キャラバン を全国8カ所で開いている。 一方、不登校・ひきこもりを考える当事者と親の会ネットワークは、 臨時国会上程に反対する要望書 を送るため、賛同者を募っている。第1次〆切が10月5日、第2次〆切が10月15日となっている。同ネットワークは、法案を白紙に戻すこと、もしくは夜間中学のみの法案とすることを求めている。 9月9日に東京・渋谷で開かれた集会 でも、この法案をめぐって関係者が分断されることへの懸念が投げかけられたが、すでに議員のところのボールが行ってしまっている以上、ていねいな議論よりも、法案に賛成か反対かに二極化してしまうのは、ある意味でやむを得ないだろう。 私(山下)の意見は再三表明してきたところだが、現法案は白紙に戻すべきだと思っている。そのうえで関係者で議論をよく尽くすべきだ。現法案は、推進してきた人にとっても、意義のあるものになっているとは思えない。また、いったん白紙になれば、対話への回路も開かれるのではないだろうか。 留意すべきは、意見の相違をもって人格攻撃などをしてはならない、ということだろう。 また、国会上程への反対要望書などについても、賛同するかしないかが、ある種の踏み絵のようになってはならないと思う。私の知るかぎり、この法案に賛成する人にも反対や懸念を示す人にも、とても複雑な思いを抱いている人が数多くいる。 NPO法人フォロでも、上記要望書については、団体として意見をとりまとめること