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「災害」から立ち上がる共同性――趙韓惠貞さんのお話から

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11月20日、関西学院大学で趙韓惠貞(チョハン・ヘジョン)さん(延世大学名誉教授)の講演と学術交流会があり、参加させていただいた。趙韓さんは、90年代末、韓国でオルタナティブ教育の必要性を提唱されて、ソウルでハジャセンターという青少年センターの立ち上げに尽力された方だ。98年に東京シューレに視察に来られた際、私もインタビューに同席させていただいて、不登校新聞の記事にしたこともある(第15号/1998年12月1日)。また、東京シューレで2000年に韓国を訪れた際、私も不登校新聞の取材を兼ねて同行し、ハジャセンターのほか、代案教育(オルタナティブ教育)関係者や、韓国の辞退生(不登校生徒)と交流させていただいたこともある。その後、韓国では、代案学校が急速な勢いでひろがり、日本よりも活発になっている印象があった。 しかし一方で、若者の置かれている状況は、韓国は日本と似ているうえに、より苛酷でもあるようだ。そうしたなか、オルタナティブ教育を推進していた趙韓さんが、いま、どういう問題意識をもっておられるのか。とても関心があった。 うかがった内容を自分の内にとどめておくのはもったいないので、自分のメモをもとに、自分の関心から切り取っていることをお断りしたうえで、簡単に報告しておきたい。 *  *  * ●韓国の若者の状況 韓国では、高学歴化の一方、学費が高額のため、借金して大学に通う人が増え、就職時点で「マイナス通帳」の若者が増えている。若者は社会への信頼はなくし「達観」して、自分のスペック(学歴や資格など)を高めることのみに邁進している。そのため「スペック世代」とも言われている。しかし雇用状況は厳しくなっていて、非正規労働の増大や、日本で言うところの「ブラック企業」問題もあり、いくら努力しても、それが報われない。その憎悪はヘイトスピーチになるだけではなく、世代間の対立や、男女間の軋轢にもなっている。 そうした状況のなか、モーレツにがんばる若者がいる一方、無気力化する若者も増え、二極化している。若者世代は「3放棄世代」(恋愛・結婚・出産をあきらめる)とも言われてきたが、近年は「5放棄世代」(3放棄+関係・希望の放棄)とまで言われている。 韓国では、40代半ばの世代は、80年代の民主化を経験し、自分の言葉を持っているが、それより下の世代になると、自分の言

断片から見える景色を

フォロの ニューズレター に、当事者研究について思うところを書いてみた。 *  *  * づら研(生きづらさからの当事者研究会)では、よく「渦中のときは言葉にならない」ということが言われる。生きづらさを語ると言っても、いま渦中にある、一番しんどいところは、言葉にならない。言葉になるのは、ある程度、のど元を過ぎて、ほとぼりもさめかかったころのことだ。言葉になった時点で、生きづらさは半分くらいは成仏しているというか、何かが解決しているわけではなくても、整理されているところがある。 でも、まとまった言葉ではなくても、断片的に言葉になることはあって、いろんな人の、断片を持ち寄ると、そこで見えてくるものがある。おしゃべりしているうちに、だんだん景色が見えてきて、視野が開けてくる感じ。それを私たちは、「当事者研究」と呼んでいるように思う。 ●スタッフも当事者研究 ところで。 この当事者研究的なものというのは、いろんなところで活かせるように思っている。たとえば、昨年度までは助成事業として行なってきた「不登校さぽねっと」の活動は、今年度は規模を縮小して、フリースクールスタッフの当事者研究を試みたりしている。スタッフも、子どもとの関わりや、スタッフどうしの関わり、自身の問題など、いろいろ困難さを抱えることがある。それを「支援者」の顔をして、「自分は大丈夫です」みたいに言っていると、その困難さを自分に閉じ込めてしまって、こじらせてしまうことにもなりかねない。スタッフこそ、弱さを情報公開して、渦中にある問題の断片を持ち寄って、言語化できないでいる部分を言葉にしていく工夫が必要かもしれないと思う。 あるいは。 子どもたちとも、もっと、こうした試みができないだろうか、と思案している。自分のことを思い起こしても、中学生のころなどは、渦中の問題を言語化できないで苦しかった思いがある。10代にこそ、当事者研究的なものは必要かもしれないとも思うのだ。とくに、いまの子どもたちは、上の世代の人よりも、自分の置かれている状況が不透明で、つかみづらく、自分の困難さも、言葉にしにくいように思う。TwitterやLINEには、断片の言葉があふれている。でも、それが持ち寄られて、分かち合われて、そこから視野が広がるような工夫がないと、断片はささくれだったままで、苦しいような気