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クラスジャパンプロジェクト、多様な教育機会、灰色……

いまの社会では、あらゆるものが商品になっていて、大人も子どもも、そして教育も、商品になっているんだなと思う。少しでも高く売れるために子どもは必死に勉強させられ、学校や教育機関は、そのサービスを買ってもらうために必死になっている。教育は、子どもを労働市場で高く売れる商品に仕立て上げるためのサービス商品になっている。 不登校というのは、大づかみに言えば、そういう状況に対するノーサインであり、そのノーサインを受けとめる場として、居場所やフリースクールはあったのだと私は思う。しかし、この20年ほどのあいだに、こぼれた人にもチャンスはあると、新たなサービスが用意されてきた。広域通信制高校やサポート校をはじめとする「多様な教育機会」が次々に出てきた。ITの活用も言われるようになって、 N高校 が出てきて、その延長線上に クラスジャパンプロジェクト が出てきた。フリースクールなども、その流れに呑みこまれてきたと言える。 教育サービスは、既存の学校よりも柔軟で多様なほうがいいということになって、教育機会確保法が成立した。しかし、商品として売れることだけに価値があるという点では、価値観はむしろ一元化している。学校の外までが、その価値観で覆い尽くされてきている。ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる「灰色」を思い出す。 でも、不登校がそうであるように、この状況に対するノーサインは、今後もさまざまなかたちで出てくるだろう(子どもだけではなく、自分たち自身のなかにも、そのノーサインは出ているはずだ)。状況がどのように変わろうとも、私たちに求められているのは、そのノーサインを受けとめ、人を商品としてまなざすのではない関係や場をつむいでいくことではないか。クラスジャパンの動向を知って、あらためて、そう思う。