4.15共同記者会見

4月15日、教育機会確保法案に反対する共同記者会見が議員会館で開かれた。私も発言を求められたので参加し、おおむね下記のように発言してきた。

・まず、法案以前の問題として、議論が未成熟であることが問題。

・個別学習計画が撤回されたことはよかったが、なぜ撤回になったのか、議論の形跡もない。ウィッツ青山学園の就学支援金不正受給問題など、教育の民営化が引き起こしている問題について、推進してきた人たちは、きちんと見解を述べるべきだろう。

・フリースクールに通っている人は不登校児童生徒の3.5%で、不登校を代弁するのに無理がある。また、フリースクール関係者のなかでも、意見はいろいろで、賛成とも反対とも言えないという人も多くいる。法案ありきでは、賛否に二極化して議論ができず、対立や分断を生むことになってしまっている。

・法案の当事者として、子ども本人、親、フリースクール関係者などがある。法案は誰の声を聞いてつくってきたのか。こういう場所で発言できる人にかぎりはあり、届いてない声も多い。

・推進する人たちからは「一歩前進になれば」という言葉がよく聞かれるが、その一言で、さまざまな批判が流されてしまっている。まるで呪文のようだ。

以上を述べたうえで、現条文案については、下記の意見書をもとに発言した(すでに述べてきたことのくりかえしだが……)。

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教育機会確保法案への意見

2016年4月4日
NPO法人フォロ 山下耕平

この法案は、もともとは「多様な教育機会の確保」を主眼としたものでしたが、その主眼がなくなり、不登校政策を主とした法案に変わっています。また、この法案をめぐっては、不登校やフリースクール関係者のあいだでも意見は分かれており、議論が未成熟のまま法案を上程することによって、関係者に対立や分断を生むことを危惧しています。下記、問題点を指摘し、白紙撤回を求めます。

1.不登校の定義が問題

この法案では、不登校は「集団生活への心理的な負担」が主たる理由となっています。不登校を子どもの心理の問題として法的に定義することは問題です。また、教育機会の確保が法案の目的であるならば、長期欠席のうち、ことさら「不登校」だけを抜き出して、定義づけることはおかしいと言えます。

2.休養の必要性について

今回の条文案で「休養の必要性」(第13条)が入ったことを評価する声もありますが、休養はむしろ、いまがんばって学校に通い続けている児童生徒にこそ保障すべきです。いじめなどの問題が生じるのも、自殺にまで追いつめられる子どもが後を絶たないのも、休むことが許されない学校のあり方に一因があると言えます。今回の法案の議論で、「誰もが安心して通える学校」であるべきという意見が多くありました。しかし、逆説的なようですが、「誰もが安心して不登校できる学校」「誰もが安心して休める学校」こそが、「誰もが安心して通える学校」になるのではないでしょうか?

現行の不登校政策では「未然防止」「早期発見・早期対応」が謳われていますが、せめて年間30日の休養は「不登校」などとカウントせずに、当然の権利として保障してほしいと思います。そのうえで、不登校しても不利益にならないよう、関係機関が連携していく、いわば「不登校機会保障法」であれば、立法化する意味もあるかもしれません。不登校の現実に即して考えるのであれば、教育機会の確保よりも、まずはすべての子に休息を保障することが最重要と思います。

3.立法化を急がず、今後に

この法案は、不登校を立法事実とながら多様な教育機会の保障を制度化しようとしていた点に、無理があったと思います。本当に教育に多様性を確保していこうというのであれば、立法化を急がず、不登校関係者だけではなく、幅広い議論のなかで、正面から考えていくことが必要だと思います。ここまでの議論を、ゆがんだかたちで決着させるのではなく、これまでの議論を礎として、今後につなげることが大事だと思います。

「多様な教育」も「休養の必要性」も、すべての子どもにとって必要なことで、ことさら「不登校」を定義づけて、位置づけるべきものではありません。この法案は、建てつけの土台に問題があると言えます。条文修正ではなく白紙撤回し、出発点に立ち返って、考え直すことを求めます。
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※記者会見の動画がアップされたので、下記に埋め込みます(4月17日追記)
そのほかの方の発言も、下記サイトにアップされています。
http://150909.jimdo.com/

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