「みんな」「共に」をめぐってー1

先だっての社会臨床学会でのシンポジウム(中島浩籌、石川憲彦、山下耕平)で大きなテーマになったのは、「みんな」とか「共に」ということだった。つまり、公共ということをどう考えるか。

石川憲彦さんが言っていたことを私なりの理解で言うと、「政府が公共を手放して、どんどん社会を市場原理にゆだねようとしているなか、『みんな』の場(シャバ)として、学校を手放してはいけないのではないか。学校は問題だらけだが、労働の場で『みんな』の足場をつくるのは不可能といっていい。せめて学校をせめぎ合いの場としていくほかないのではないか」ということだった。

しかし、その「みんな」が抑圧的だったからこそ、不登校が苦しかったのだ。この「みんな」「共に」「公共」ということを、どう考えたらよいのだろう? もやもやするなかで、ふと思い出した文章があるので、まずは読んでもらえたらと思い、ちょっと長いが引用したい。小沢健二の「うさぎ!」第十二話(季刊『子どもと昔話』36号/2008年7月20日発行)の一部だ。

「あのさ、何かの『民間契約』のニュースがあると、『民営化』とか『官から民へ』とか『効率化』とか『アウトソーシング』とか『競争主義』とか『市場原理の導入』とか『改革』とか、気味の悪い言葉を聞くじゃないか?」

「ああいう新聞用語は何度聞いても、今ひとつ意味がわからない。新聞用語には、人びとが理解しないように、わざとわかりにくい言葉が選ばれているからね。」

「現実には、もっとわかりやすくて、重要で、大きなキーワードがある。」そう言うと風は、こう書き付けます。

NPM(新しい国民の取り扱い方)

「NPMっていうのは、New Public Managementの略。『新公共経営』なんて訳されるけれど、要するに『新しい国民の取り扱い方』ってことだ。」
(中略)

NPM(新しい国民の取り扱い方)

・国民をお客様として扱ってください。

・何でも商取引(売り買い)として考えてください。

「そして、かならず言うのは……」

・政府や役所、学校や保健所や図書館など国民のための施設は、企業のように運営してください。

「わかりやすい説明だから、ちょっと考えると疑問もすぐに浮かんでくる。疑問は、

・国民をお客様として扱っていいのか?

・何でも商取引(売り買い)として考えていいのか?

そして、

・政府や役所、学校や保健所や図書館など国民のための施設を、企業のように運営していのか? という疑問だ。」

「さて」と風。「『お客様として扱う』というと聞こえはいいけど、『お客様』という立場は、本当はあまり強い立場じゃない。たとえばレストランの客は、お金を払うかぎりは『お客様』として扱ってもらえるけど、お金を払わなかったら『お客様』という立場はなくなって、『出て行ってください』と追い出される。」
「『国民』というのは、もう少し立場が強い。憲法を読むと、国民は『健康で文化的な最低限度の生活をする権利を有する』とか『基本的な人権は永久の権利』とか書いてある。レストランにたとえると、『お金を払えないですけど、最低限の食事くらい食べさせてください』と要求することができるってことだ。そして『国民』はお金(税金)を払わなくても、『国から出て行ってください』と追い出されることはない。」

「だから『国民をお客様として扱う』というのは、要するに『国民の立場を弱くします』『国民の権利を減らします』ということ。しかし、そう露骨に言ってしまうと、国民が聞いて怒るかもしれない。だから柔らかく、『国民をお客様として扱います』と言うんだ。」
「それから『国民』はいちおう『平等』ということになっている。ところが『お客様』は平等じゃない。高いお金を払えばいいサービスを受けられるし、レストランでは上客は上等に扱われて、良い席に座る。」

「そして、お客様の立場は、お金だけでは決まらない。有名人はお金を払わなくても良い席に座らせてもらえるように、お客様っていう立場は、コネとか地位とか、あやしげな要素で決まる。」

「つまり、NPM(新しい国民の取り扱い方)は本当は『国民の権利を減らします。そして、お金とかコネとか地位とかに基づいて人を扱います』と言っているんだけど、そう言ってしまっては……」

「身もふたもない」と虹の風。

「けれども、それがNPMの本心なんだ」と風。「だからNPMを進める政府があると、その国の人たちは、日に日に『お金とかコネとか地位に基づいて扱われている』ことを、強く感じるようになる。『自分はいつも品定めされてる』っていう感覚を持つようになる」

(中略)

「そして、いつも、何でも品定めする、おたがいを品定めする雰囲気が、世の中に浸透してくるんだ。」

「しかし、おたがいをいつも品定めしていたら、居心地が悪いだろうね。『いつでも何でも売られて、買われる』なんて、安心感がない」と花帽子。

「けれども、NPMっていうのは、そういう命令。『安心はだめです。いつでも競争なのです』という命令。」

「はあ、けれど……」花帽子が首をかしげます。「安心って、『幸せ』そのものなんじゃないの?」

「そうなんだよ」風が言います。「だから、幸せそのものが突き崩されていくんだ。安心はなし。心配と計算が、お金とコネと地位のまわりをうろつく。NPMが設計するのは、そんな世界だ。」

教育機会確保法案の一連の動きも、NPMの流れのなかにある。法案だけではない。多くの市民活動が、NPMに呑み込まれてしまっている。仮に法案が廃案になったとしても、この構造は変わらない。だから、問題は法案以前にあって、法案以後にあるのだ。(つづく)

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