キラキラ支援者、キラキラ支援臭

不登校やひきこもりの「支援」にかぎらないのだが、こういう物言いをする人は信頼できないな、と思うことがある。

たとえば、

・数字を誇る(これまで何人と関わった、など)。
・権威を誇る(過去のメディア露出など)。
・断定的に「正解」を示す。
・ビフォア/アフターで効果を示す。
・「成功例」ばかり示す。
・自分への内省がない。

こういう人たちのことを、「キラキラ支援者」とでも言っておこう。

しかし、「キラキラ支援者」的な物言いは、とってもよく見かける。そして、そういう物言いができないから、「商売」が下手なんだと内省してしまう。「商売」だけではない。いつだったか、私の関わるNPOで、寄付を募るための工夫をアドバイスしてもらうという機会があったのだが、そこで提案されたのも、思い返せば上記のようなことだった。1日○○円で○○人の人を救えます、こういう成功例につながりました、ビフォア/アフターを示す、エッジを効かせてアピールしましょう、などなど……。

そのときは、何かおかしいと感じながら、うまく言葉にならなかったのだが、それらは、市場で商品を流通させるには必要な物言いかもしれないけれども、非営利活動や寄付を募ることにまで、市場の論理が入っていることに違和感を覚えたのだと思う。しかし、非営利活動は、市場からはこぼれてしまう問題だったり、市場では解決できない問題に取り組んでいるはずだ。

そして、市場で器用にふるまえない人が、市場からこぼれてしまっている。そういう当事者を、市場でキラキラさせることが「支援」なのだろうか? そこでは、「キラキラ」しないものは「なかったこと」にされてしまう。その抑圧は、とってもタチが悪いと私は思う。

「支援」が、なんらかの「成功」や「解決」につながることを否定しているわけではない。しかし、どうにも薄っぺらい「キラキラ」が鼻につく。そして、非営利セクターまでが、その「キラキラ」に覆われてきていることが、鼻持ちならないのだ。それを「キラキラ支援臭」とでも言っておこう……。

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