痛みの側に立ち続けること

ついに、教育機会確保法案は国会に上程されてしまった。座長試案発表から1年。議論はかみ合わないまま錯綜し、不登校政策法案に様変わりして、もともとの推進者のなかにも疑義を感じている人がたくさんいるにもかかわらず、上程にまで至ってしまった。さまざまに挙がっている批判については付帯決議に反映するというが、茶番というほかない。
すでに法案についての問題指摘などは尽くされている。あらためて言うべきことは何もないが、先だっての共同記者会見の後に開かれた意見交換会で述べたことを、ここにも記しておきたい。

この1年、ヒアリングなどで議員と直接やりとりをしてみて、私が感じたのは、この人たちは本当に「善意」なんだ、ということだった(そう言ったとたんにヤジが飛んできたが……)。ただ、「善意の道は地獄に通ずる」という言葉があるように、「善意」はとても危うい。これまでの不登校政策だって、いわば「善意」によるものだろう。あるいは、子どもを学校に戻そうとがんばってきた教師や親も、みんな「善意」だ。だからこそ、その「善意」は当事者の子どもにとって、さまざまな苦難を生み出してきたのだ。

しかし、どんなにそれが「善意」であろうと、それは現実によって裏切られる。不登校の歴史は、そのくり返しだったとも言えるだろう。だからこそ、親や周囲は、自分たちの価値観を問い直すことを迫られ、学校や社会のあり方が問い直されてきたのだ。仮に今回の法案が通ったとしても、その「善意」は必ず裏切られるだろう。しかし、問題は、そこに痛みを伴うことだ。私たちに求められるのは、その痛みの側に立ち続けることだろう。

これまでも繰り返してきたことだが、何度でも言っておきたい。法案がどうなろうと、問題は法案以前にあって、法案以後にある。

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