教育機会多様化神話

教育機会確保法だとか個別学習計画というのは、いまの社会を前提として、そこに適応させるための手段を多様化しようという話だ。そういう意味では、「学校に行かなくても社会ではやっていける」という言説とは相性がよいのだろう。

しかし、私は「学校に行かなくても社会ではやっていける」という言い方はやめるべきだと言ってきた。なぜなら、それは学校だけを問うて、社会のあり方を問わないからだ。
不登校やひきこもりを否定視する価値観と対峙しないまま、方法論としてのみ、教育機会を多様化させるというのでは、そのツケはどこかでまわってくるだろう。原発安全神話ではないが、教育機会多様化神話とでも言っておこう。

かつて、学校を絶対視する風潮は「学校信仰」と言われていたが、いまは「学校信仰」が揺らいだ代わりに、別の神話が信仰されていると言ってもいい。
かつてと比べると、「教育機会多様化神話」は世間に流通するようにはなったが、不登校という問いに立つならば、この社会でやっていけない側に立ち続け、やっていけない社会のあり方を問い直していくことが必要だろう。どんなに苦しくなっても、そこに立っていきたい。

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