文科省「全国フリースクール等フォーラム」

昨日、文科省主催の「全国フリースクール等フォーラム」に参加してきた。近日中に、文科省のyoutubeチャンネルで動画が公開されるとのことなので、くわしいことは閲覧していただくとして、まずは簡単に報告しておきたい。

冒頭、下村文科大臣があいさつし、下記のようなことを述べた。

・フリースクール支援は安倍政権の教育施策の重要事項。
・日本は国際比較しても、子どもの自己肯定感が低く、「自分はダメだと思う」割合が84%もある。それは学校が子どもをひとつの物差しで測ってきたからではないか。
・発達障がいや不登校、貧困などのハンディキャップがあっても、教育によって乗り越えられることが重要。
・大学入試改革を含め、これまでの暗記型の教育制度を改め、これまでの学校では測れなかった多様な能力を伸ばす教育制度が必要である。
・不登校の子どものなかには、アインシュタインやエジソンのような逸材が眠っているかもしれず、そうした“ダイヤモンドの原石”を磨く機会をつくり出していく。
・具体的には、フリースクールへの財政支援の検討と、制度的な位置づけの検討をする。
・来年5月ごろに中間報告をまとめる予定。

その後、トイボックス(大阪)、クレインハーバー(長崎)、教育支援協会(神奈川)の3団体から事例発表があったが、いずれも公設民営や行政との連携の事例として取り組みが発表されていた。

講演として、永井順國氏が日本の公教育制度の変遷をたどりながら、市民との協働の可能性について語り、永田佳之氏が、国際比較のなかで、日本のフリースクールなどの取り組みを位置づけ、ユネスコの提唱しているESD(未来志向の教育)とも合致すること、1割ほどの「健全なマイノリティ」が存在することが、社会全体にとって意義あることなどを語った。

意見交換の時間は10分もなく、発言機会が限られていたが、私は短いながら意見を述べさせていただくことができた。そこで述べたのは、下記のようなことだ。

・子どもの自己否定感が強まっているのは、自分の存在が教育的な評価の視線でのみ、まなざされるようになったからではないか。
・不登校というのは、そのまなざしからの撤退であり、フリースクールなどの役割は、その撤退を保障するという面がある。それが「居場所」と呼ばれてきた。私たちのフリースクールは「いるだけで、いい。」をキャッチフレーズにしている
・しかし、その意義は理解されにくく、親もお金を支払う価値を見いだしにくい。そのため、フリースクールが財政的に苦境に立っているとも言える。
・フリースクールを行政が支援するというとき、多様な能力を伸ばすといっても、成果主義になると、支援は塾産業などに傾き、かえって居場所を運営してきたフリースクールが苦しくなることを懸念している。

発言時間が限られていたので、言えることに限りはあったが、最低限のことは伝えることはできたと思う。そのほか懸念や疑問や時間不足だったことなど言いたいことは多々あるが、文科省主催でフリースクールをテーマにフォーラムを開いたこと、大臣が最後まで出席したこと、終了後も、亀田徹フリースクール担当官が、個別に話を聴く時間をとっていたことなど、誠実な姿勢はうかがえた。今後、どのように検討がなされていくのかわからないが、間口が開かれたことは確かなので、どういう方向に進むにせよ、きちんと意見を言っていきたい。


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