仮説「蘇我馬子は生きている」

不登校新聞の連載「仮説なんですが」に、仮説を書いた(483号/2018.06.01)。私の仮説は「蘇我馬子は生きている」説。編集部の了解を得て、全文を転載させていただく。

奈良県明日香村にある石舞台古墳は、蘇我馬子の墓と言われている。巨大な古墳だったようだが、盛土は取り去られ、石室だけがむきだしになって残っている。古代日本の礎をつくったのは蘇我氏らしいが、「大化の改新」でクーデターを起こした天皇家によって蘇我氏は殺害され、悪者にされたあげく、蘇我氏の業績の数々は、すべて「聖徳太子」という架空のスーパースターの功績にされてしまった。この説については、いまでも教科書の記述をどうするかなど論争があるのだが、ほんとうだとすれば、勝てば官軍で、負けた側の声は、葬り去られたうえに、収奪されてしまったことになる。

歴史は、そういうことのくり返しなのだろう。昔から「改ざん問題」はあるのだ。しかし、勝った側が安泰かと言えば、うしろめたさは常にある。だから、たとえば藤原氏なんかも、政敵として左遷した菅原道真を神さまにして祀ったりしてきた。負けた側のうめき、もっと言えば、民衆のうめきみたいなものを、勝った側=権力は常におそれている。

権力争いの場だけではない。あらゆる領域で、そういうことは起きているだろう。たとえば社会運動なんかにおいても、その初期においては、古代豪族のせめぎ合いや、戦国時代の群雄割拠のごとく、いろんな「声」がせめぎ合う。ところが、だんだん力を持つ人たちが出てきて、その人たちの語るストーリーに「声」は回収されてしまう。負けた側の「声」は、なかったことにされるだけではなく、都合よく回収されて収奪されてしまうのだ。

不登校の歴史においても、同じことはあるのではないだろうか。さまざまの、負けてしまった「声」たち。表には出てこない、埋もれてしまった「声」たち。でも、そういう「声」は、時間を経ても、埋もれつつも、けっして消えることなく響き続けているのだと思う。

勝った側のストーリーだけが「声」だと思いたい人には、そういう「声」はノイズでしかない。だから、ノイズリダクションをかけて、なかったことにしてしまう。でも、ストーリーに回収されないノイズ、うめき、さまざまな「声」は、いつか物事を動かす力になる。必要なのは、そこに耳を傾け続けることだ。そういう「耳」は、本紙にも求められていると、私は思う。
石舞台古墳(奈良県明日香村)

また、先日、不登校新聞の20周年集会が開かれた。私も初代編集長として参加する予定だったのだが、諸事情で参加できなくなったので、メッセージを送って、読んでいただいた。その一部も転載しておきたい。

メディアとしての不登校新聞にとって、批判は欠かせないものです。メディアが批判精神を失ったら、ちょうちん記事しか書けない御用新聞になり下がってしまいます。そして、不登校から学校を問い、社会を問うということは、一方では、自分たちが常に問われ続けなければならないということでもあります。たとえば、フリースクールであろうと、親の会であろうと、不登校にかかわる人たちは、不登校から深く問われるものがあると私は思っています。自分たちを正しい側に置いて、相手だけを問うというわけにはいかないのではないでしょうか。

現在の編集長、石井志昂さんは、「子どものことは子どもに聞くべきだ」と言います。それは、その通りだと思います。しかし、あたりまえのことですが、聞く側の耳のありようによって、子どもが語ることはおのずと変わってきます。たとえば、「学校に行くべきだ」と、コワモテならぬコワミミでいる人に、子どもが何を語れるでしょうか。同じように、それがフリースクールだったり、ホームエデュケーションだったりしても、「これが正解」という固定した耳で聴くのであれば、子どもはそれに合わせたことしか語れないでしょう。虚心坦懐に、子どもの声を聴くには、耳の痛いことにこそ、耳を傾けなければならないのだと、私は思います。そういう耳を失ってしまったら、不登校新聞はワンパターン化した、テンプレート化した語りを再生産するだけの御用新聞になってしまうことでしょう。また、ときには読者にとって耳が痛いことであろうと、臆せずに報じる姿勢が必要だと思います。読者のニーズは大事ですが、読者に媚びる新聞であってはならないと思います。

コメント