多様な教育機会対話フォーラムと、その後について

遅くなったが、7月26日の多様な教育機会対話フォーラムについて、簡単に報告しておきたい。このフォーラムは、多様な学び保障法を実現する会の総会の予定を大幅に変更して、懸念や慎重・反対の声も含めて、対話する場として設定されたものだった。
私も、これまで述べてきた懸念を提示したが、それはやみくもに対立することではなく、むしろ推進する人たちとこそ懸念を共有したいこと、そのうえで、推進する側は、懸念の声を受けて、現在、条文化作業が進められている法案に対して、ここは譲れないという原理原則を提示してもらいたい旨、冒頭に述べさせていただいた。
フォーラムに先立つ第1部では、奥地圭子、喜多明人、汐見稔幸(VTR)の各氏から基調講演・報告があった。とくに喜多氏は、これまでの懸念を受けて、具体的な論点を提示された(くわしくは下記に資料がアップされている)。
http://aejapan.org/wp/?p=510

第2部は、吉田敦彦氏が進行されたが、ここでも最初に論点整理が示された(上記リンク参照)。ただ、参加者からの発言では、おもに下記の2点に意見が集中した。

1.個別学習計画と、その認定について。
推進・慎重・反対を問わず、この個別学習計画への懸念や批判は非常に多かった。懸念への応答としては、認定ではなく認証にできないか、事前審査ではなく事後評価にすべきではないか、額面通りに受けとらず上手にやったらいいなど、さまざまな意見があった。

2.親が子どもを追いつめてしまう懸念について。
この法案がこのまま進んだ場合、焦っている親が、かえって子どもを追い詰めてしまう危険について、実際の経験を踏まえた懸念がいくつも語られた。立法者や推進者の意図を超えて、結果として、法案によって追い詰められる子どもが出てくる可能性は否定できない。こうした懸念に対しては、子どもの最善の利益や休息の権利など、子どもの権利条約の理念を法案に書き込む必要があるなどの意見もあった。
また、今回の議論で明確になったと思われるのは、多様な教育機会の確保と言いつつ、あくまで特例として就学義務の履行とみなすのであり、法案は学校教育法と並ぶものにはなり得ないという点だろう。この制度を使っての「卒業」が学校の卒業資格と同等の資格になるのか、学歴社会のなかで不利益が生じないのかなどの懸念も示された。

総じて、推進する立場の人たちの意見としては、現段階では不十分でも、理念法として法案を通し、運用面で関係者が主体性を発揮して、時間をかけていい制度にしていこう、というものだった。いまの制度のままでも、子どもたちは苦しんでいるのあり、その状況を変える一歩になれば、と。
その意気込みはわかる。しかし、私は冷静な観点が必要だろうと思う。文科省の調査によれば、フリースクールなどに通う児童生徒は4200人程度だ。それは不登校全体の3.5%に過ぎない。私たちの手の届く範囲は、ごく限られている。手の届かないところで、新しい制度によって苦しむ子どもがたくさん生み出されるのであれば、その責任を誰が負うのだろう。
義務教育民営化への懸念も消えない。この法案では、「多様な学び場」に、設置主体による線引きはないのだ。喜多氏も、バウチャーで親の選択に任せてしまうと、競争の激化を招き、営利性を増すことは明らかだと述べていた。そのため、機関委任の可能性も探るべきだという。
プラス面だけを強調して、懸念やマイナス面を軽く見るのでは、原発安全神話のようなことになりかねない。法案は、先週、立法チーム内で条文案が示され、国会提出に向けた議論に入ったそうだ。聴くところによると、座長試案がそのまま踏襲された条文案となっているという。これまで示された懸念などの声は反映されるのだろうか……。
推進する立場にある人たちも、出てきた条文案に対して、ここは守るべきという自分たちの原理原則をきちんと提示すべきだろう。

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