ヒアリングで述べた意見

本日、「教育機会確保法案」立法チームのヒアリングで発言してきた。
まず、条文については、公開してもよいとの確認を得たので、下記にアップしている。
→条文骨子(2016.02.02)
→新旧比較

それから、とりいそぎ、私が述べた意見(配布したもの)を下記に流しておきたい。
もう少し詳しい報告は、あらためて。
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教育機会確保法案への意見
2016年2月16日   NPO法人フォロ 山下耕平
1.個別学習計画の削除について
個別学習計画については、懸念や批判がもっとも集まったところで、拙速な制度設計を避け、削除されたのは本当によかったと思います。当事者にとってはもちろんですが、私たちの懸念の一つは、義務教育民営化への懸念でした。先般、ウィッツ青山学園の就学支援金不正受給の問題が持ち上がりましたが、規制緩和や民営化は、かならず負の側面をともないます。きちんとした検証が必要と、あらためて思う次第です。

2.理念について
しかし、一方で、基本理念が、現行の不登校政策を前提としたものになったことについては、疑問があります。そもそも、現行の不登校政策では限界がある、もっと言えば、現行の行政の枠組みでは解決不可能だと考えるからこそ、議員立法による制度改革を検討してきたのではないでしょうか。これでは、賛否の前に立法の意味が問われると思います。
不登校政策であれば、あらたな法律は不要と思います。この案では不登校の定義がありませんが、不登校政策として立法化するのであれば、法律で不登校を定義することになるかと思います。これまで、文科省は不登校を「問題行動」と位置づけてきました。そうした不登校の概念を前提として、それを法的にも位置づけてしまうのであれば、かえって、これまでの不登校行政の枠組みは強化され、「多様な教育」の位置づけはゆがめられてしまうのではないでしょうか。

3.休養はすべての児童生徒に必要
今回の条文で「休養の必要性」が入ったことについては評価できますが、休養はむしろ、いまがんばって学校に通い続けている児童生徒にこそ保障すべきだと思います。いじめなどの問題が生じるのも、自殺にまで追いつめられる子どもが後を絶たないのも、休むことが許されない学校のあり方に一因があると言えます。今回の法案の議論で、「誰もが安心して通える学校」であるべきという意見が多くありました。しかし、逆説的なようですが、「誰もが安心して不登校できる学校」「誰もが安心して休める学校」こそが、「誰もが安心して通える学校」になるのではないでしょうか?
ですから、不登校を「未然防止」「早期発見・早期対応」などと言うのではなく、せめて年間30日の休養は「不登校」などとカウントせずに、当然の権利として保障してほしいと思います。そのうえで、不登校しても不利益にならないよう、関係機関が連携していく。いわば、「不登校機会保障法」であれば、不登校政策として立法化する意味もあるかもしれません。不登校の現実に即して考えるのであれば、教育機会の保障よりも、まずはすべての子に休息を保障することが最重要と思います。

4.立法化を急がず、今後に
この法案は、不登校を立法事実とながら多様な教育機会の保障を制度化しようとしていた点に、無理があったと思います。結論としては、今回は、不登校に関する部分は全文削除することを要望します。夜間中学校について異論はありませんが、協議会の設置に立法化は必要でしょうか。理念として普通教育機会の確保は重要なことと思いますが、現行法でも可能なことで、新たな立法を必要としているとは思えません。
教育に多様性が必要であるということについては、異論のないところと思います。その多様性をいかに確保していくのか、今回の法案をめぐって、見えてきた課題は多くあります。立法化を急がず、その議論を積み重ねいくことが必要と思います。また、本当に教育の多様性を考えるのであれば、学校制度がどうあるべきかについて、不登校関係者だけではなく、幅広い議論のなかで、正面から考えていくことが必要だと思います。ここまでの議論を、ゆがんだかたちで決着させるのではなく、この議論を礎として、今後につなげることが大事だと思います。

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