吉本隆明さんのお説教


吉本隆明さんが亡くなった。直接間接に、私たちの活動にも影響してきた人だと、あらためて思う。私なりにそれを一言で言えば、自分に立脚する、ということではないかと思う。国家のため、社会のため、理想のための自分ではなく、学歴や職歴など肩書きの自分でもなく、“内臓感覚”とか“アフリカ的段階”の自分。そのときどきの社会の風向きに自分を合わせるのではなく、むしろ、そこからズレてしまう自分の感覚に立って物事を考えること。それが吉本さんの徹底したスタンスだったのではないだろうか。

かつて、『不登校新聞』で吉本さんにインタビューをしたことがある。いくつか、引用したい。
・僕が大学1年生のとき、日本が敗戦しました。敗戦したとたん、就職口はなくなるし、学校自体も続くかどうかもわからない。社会ががらりと変わってしまった。(中略)今までやっていたことが通じなくなってしまったわけです。バカバカしいというか、とてもむなしかった。社会が変わるってことは、本当に、むなしくなるぐらい影響がある。敗戦までは、僕は社会についてなんて、まるで考えないできた。でも、それが大欠陥だったと思いました。それが、経済学とか経済現象といった、社会を動かしている基本にあるものを少し勉強しはじめた理由です。だから、正しいか、まちがっているかは別として、そのときどきに、社会に対して自分なりのビジョン、自分なりの判断をちゃんと持っていないとダメだぜ、ということは、敗戦以降、今にいたるまで、変わらずに頭に置いていることです。
・僕はいろんな社会現象に発言しているけど、ぜんぶ素人なんですよ。素人として、社会的な現象に対して、これをどう見たらいちばんいいのか、と考え、発言してきたのだけど、それでいいんだと思いますね。
・学問者や研究者と、僕みたいな物書きとどうちがうかというと、前者は頭と文献や書物があれば研究ができる。物書きは手を動かさないと作品が書けない。僕も手で考えてきた。頭だけで書いたらつまらないものしか出ない。考えたことでも、感じたことでも手を動かして書いていると、自分でもアッと思うことが出てくる。それは手でもって書いてないと出てこない。
・閉じこもりって、悪くないんじゃないですかね。それに、中途半端に引き出すのは、どう考えてもよくない。メディアは、閉じこもらないで、出ずっぱりで仕事をしたり、学校に行くのが一番いいことなんだ、という価値観で動いていますが、そんなのはウソですよ。だいたいの人間が1日のなかで、閉じこもっている時間がありますよ。
・重要なのは、いい学校に行くとか、いい会社に勤めるとかより、自分が経験したことを何回も何回も練り直して考えること。それをしなければ、人間の器は出てこないし、自分が持っている先入観にも気づかないと思います。
(以上、『この人が語る「不登校」』全国不登校新聞社編より)

このインタビューに私自身は参加していないのだが(子どもたちだけで取材した)、その後、本にまとめるにあたって、吉本さんとやりとりをさせていただいたことがある。その際、電話で長時間、お説教をいただいたのだ。それは原稿内容についてではなくて、出版のスタンスについてだった。インタビューを収録させていただいたのは『この人が語る「不登校」』という本で、18名の方のインタビューを収録し、講談社から出版した。「著名人を集めて大手の出版社から本にして出すなんて、あんたら堕落してんじゃねえの? 誰の入れ知恵か知らんけど、そんな浅知恵でやってちゃダメだね」というようなお話だった(この件については、『ひきこもれ』に書かれている)。原稿収録については「使いたきゃ勝手に使いな」とおっしゃるので、引くに引けずそのまま収録させていただいたのだが、このときのお説教は、その後、深く私を自戒させた。

たしかに当時、不登校はマスコミにも注目されていたし、そういう風向きを利用したいという下心があったにちがいない。しかし、そういう風向きに合わせてしまうと、自分の足下を見失ってしまう。深く自戒を込めて言うが、不登校運動の言説には、そういう側面があったと思う。

たとえば、「学校に行かなくても社会でやっていける」という考えは、今となっては、こっぱみじんに砕いてしまったほうがいいと私は思う。それが一面の事実にちがいないとしても、子どもにとって学校がやっていけない場所となっているように、いまの社会は、多くの大人(とくに若者)にとってやっていけなくなっているのだから。“やっていけない”という側に立ち続けること、自分のなかの“やっていけない”という部分、世間とのズレに真摯であること。あらためて肝に銘じておきたい。

吉本さん、お説教ありがとうございました。合掌。


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