書評:『キリンの子』鳥居歌集
歌人の鳥居さんが歌集『キリンの子』を上梓された。差し出がましいようだが、少し書評(?)を書いてみたい。
たとえば震災などがあったとき、被災しなかった人でも、報道などで事実に接するだけで胸が騒ぐ。それは被災者の苦しみ、痛みに共感するからでもあろうし、自分の日常が揺るがされ、そのはかなさ、もろさを突きつけられてしまうからでもあるだろう。いずれにしても、日常にパックリと開いた穴からは、不穏な風が吹きつけてくる。
それが、鳥居さんの過去の経験だけで引き起こされているのであれば、鳥居さんの存在は、凄絶な過去を背負った、かわいそうな女性のストーリーとして、一時的に消費されて、忘れ去られてしまうだろう。しかし、鳥居さんの凄みは、自身の経験から見えた世界を、短歌という、たった三十一文字に結晶化させ、私たちの日常をスパスパと斬ってみせていることにある。
たとえば太宰治の小説を読んだとき、これは太宰の実体験なのか、小説なのかと、とまどった経験を持つ方も多いだろう。でも、それが実体験であるかどうかは、あまり大事なことではない。雑多な事実に縛られて書くよりも、事実を結晶化させた作品は、より真実を描いていると言える。その肌触りに、人はぞっとしつつも、惹かれるのだ。
鉱石は、自然界にあるままでは石ころだ。それを高熱でどろどろの液状に溶かし、金属を抽出して、はじめてその性質を発揮する。それは人を殺める道具にもなれば、調理器具にも、宝飾品にも、貨幣にもなる。
鳥居さんは、いわば高熱をくぐり抜けた金属だ。そしてその短歌は、金属をさらに鍛錬して加工した刃だ。しかも、すこぶる鋭利で切れ味がよい。そしてまた、鳥居さんの短歌にも、刃物がよく出てくる。それは偶然ではないだろう。
ただ、刃物は使い方をあやまつと、人を傷つける道具にもなる。可能性は常に、危険性と裏腹にある。その危険な香りだけを文学だと思う人もいるだろう。でも、鳥居さんには、その危険をもくぐり抜けて、生を根本から肯定する強い意志がある。だからこそ、その刃は錆びない。三十一文字に鍛え抜かれた刃は、私たちの日常をスパスパと斬りながら、不穏な風を吹き寄せながらも、逆に、私たちの生を再生させる(これがなまくら刀だと、生を傷つけて終わってしまう)。
「生きづらい」と感じている人は、ぜひ、鳥居さんの短歌に触れていただきたい。そして、歌集を読んだうえで、鳥居さんの背景を知りたい方は、『セーラー服の歌人 鳥居』も併せて読むことをお勧めしたい。
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