「不登校は○○じゃない」という呪縛

不登校は怠けだと言われたら、「不登校は怠けじゃない」と言い返すのではなく、「怠けて何が悪い」と言い返したい。

不登校は病気だとまなざれたら、「不登校は病気じゃない」と言うのではなく、「何を病気と見ているのか」と問い返したい。

不登校は不幸だと誰が言ったか知らないが、「不登校は不幸じゃない」と言うのではなく、「学校に行かないことで不幸になるような社会はおかしい」と言いたい。

不登校だと学んでいないと見なされるのはたしかだろうが、そういう人たちに対して「学校以外でもリッパに学んでます」と言うのではなく、そういう上っ面で人を評価するまなざしを問い返したい。

いずれにしても、「不登校は○○じゃない」という言い方では、「不登校は○○だ」という呪縛に対して、その価値観の根っこを問うことはできない。

「不登校は○○じゃない」は、もうひとつの呪縛だ。

教育機会確保法を求める人たちにも、同じことが言えるだろう。教育機会確保法は、学校に行っていない子どもを教育で呪縛する法律だ。

先日、教育機会確保法の見直しで、「個別学習計画」を復活させる案が出たという。これは「個別教育呪縛計画」とも言えるだろう。こんなものを成立させてはならない。

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