マスクを着用していませんが

全世帯に布製マスクを2枚ずつ配布するという「アベノマスク」は大ひんしゅくを買っているが、それはさておくとしても、新型コロナウィルスによって、社会はマスクパニックとも言える状況になっているように思う。

しかし、いまのところ、私はマスクを着用していない。まちがっているのかもしれないが、その理由は下記のようなことだ。

・マスク着用は、感染予防にはあまり意味がないと言われている。

・自分が感染していた場合に、飛沫を外に飛ばさない(他者への感染を防ぐ)意味はあるが、症状を感じていないうちは、着用するつもりはない。

・無症状でも感染している可能性は否定できないが、一方で、深刻なマスク不足になっており、必要な人にマスクが充分に届いていない問題が生じている。優先すべきは、医療従事者、介護従事者などであり、また、花粉症の方など、必要なのに不足している人もいる。

・マスク不足のなか、布製や自家製マスクの使用や、マスクを使い回したりすることは、かえって不衛生になることもある。

・何より怖いのは、「みんながそうしているから自分も」という集団心理が生じていて、それに合わせない人への排除のまなざしが生じかねないことだ。

・公衆衛生の必要性や、非常時に私権を制限せざるを得ないことがあるのは理解できるが、冷静な判断がなければ、全体主義的な集団心理を発生させてしまう。

・そうした集団心理は、戦時中のような、異質なものへの排除へと容易につながってしまう。それは、とても怖いことだ。

・ここで引き合いに出すのもおかしいかもしれないが、それはまた、みんなが行っている学校に行けない人(自分)はダメだという、不登校への圧力とも同根のものだろう。

・コロナウィルスは目に見えず、対処法もまだ見えず、どう判断してよいのか、わからないことばかりだ。不安ばかりが大きくなってしまう。それだけに、「みんなといっしょ」の安心感にすがることは危ないと思う。パニックが生じているときこそ、冷静に物事を考える必要があるのではないか。

以上のような理由から、いまのところ、私はマスクを着用していない(ただし、必要性を感じれば、それに応じて着用するつもりだ。意固地になるつもりはない)。

* * *

追記

その後、対面で人と会う際などにはマスクを着用しています。

コメント

  1. 医療従事者や介護従事者といった必要なところにマスクが行き渡っていないというのは知らなかったし、気づきませんでした。

    マスクパニックについて思ったことがあったので、コメントさせてください。

    一人の人間がパニック、というか広い意味のパニック(心に余裕のない状態)になると、周りにいる身近な人が迷惑を被るが、集団が同じ方向に小さいパニックになると、特定の社会機関が回らない可能性が出てくる程の危機が生じてしまう。

    私はマスクが欲しいくらいは個々人を見ればたいしたパニックではないと思う。けれど、結果的に、みんなが同じ方向に不安になり、同じ方法で、不安を解消使用しようとすると、本当に必要としている人たちを甚大な危機にさらすことになる。また、異質なものへの排除のまなざしが生じてしまう。

    では、不安になってマスクを買っている人が「本当に必要な人に行き渡らなくなるから」ということを知ることで、自分にはマスクが必要か考え、その考えた理由を基準にして行動をするようになるのか。私はあまりそのようになると想像出来ない。私はマスクをしていないが、それは、軽率なのかもしれないが、何となくだ。手洗いや、仕事場やお店に置いてあるアルコールスプレーは前よりもよく使っている。マスクが感染予防にはあまり効果がないという話は知っていたが、マスクをしないことがおかしくはない理由にはなっていても、心理的な原因にはなっていない。マスクは何故だかしていない。今は手に入らなくなっているから、したくても出来ない状況だが。

    「本当に必要な人に行き渡らなくなる」など、考えてもいなかった。身近な人への配慮ではなく、見ず知らずの人への配慮によって、配慮しようとして行動の基準をより理性的なもに変えるというのは、現実的に難しさを感じる。

    だから、マスクパニックのなかで、そんな小さなパニックにもならないようにするというのはしんどいんじゃないか、と思うし、マスクパニックぐらい個々人としてはなってもいいんじゃないかと思う。しかし、集団でそうなっているので、危険な傾向になってしまっている。そこに社会道徳といっていいのかわからないけれど、そういう普通に持っている危機管理意識の限界のようなものを感じる。大袈裟かもしれないけれど。

    私は自分がマスクしなければと思っていない理由がよくわかりません。でも、マスクをしない理由もマスクをしている人のマスクをしている理由も、行動は違ってもあんまり変わらないんじゃないかと思っています。何となくそうしている。その「何となく」が気になって、こんなことを書きました。

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    1. ワキヤさん、ありがとうございます。

      マスクそのものをめぐる問題と、集団心理の怖さの問題とがあるように思います。正直に言えば、私自身の問題意識は後者のほうが強いと思います。それと、マスクをしない理由には、もともとマスクがきらいということもあります。医療従事者のことを考えての理性的判断というばかりではないです。

      集団心理の怖さは、マスクで済めばよいですが、それがどこに向かうかわからない、その怖さを言葉にしておきたい、小さくとも一石を投じたいと思ったところがあります。

      かといって、それを現実的に止めるためにどうすればよいのかは、難しいですね……。さしあたって自分にできることは、安易に「みんなといっしょ」に流されず、感じた違和感を言葉にすること、でしょうか。そんなふうに思いました。

      山下耕平

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