書評:『いのちへの礼儀』

とてつもない本を読んでしまった。本書は、家畜やペットをはじめ、人間と動物との関係について、徹底的に考え抜かれた本だ。工業畜産とも言われる家畜の実態、大量生産され大量廃棄されているペットの実態など、人間が利用している動物たちの置かれている状況は、残酷きわまりない。しかし、そうした事実を知らないことにして、私たちは、一方で動物たちの肉を食べ、一方で動物を愛玩し、自分たちの欲望を満たしている。

私も、家畜やペットをめぐる問題について、まったく考えてこなかったわけではない。ある程度、知っているつもりではあった。しかし本書を読んで、いかに自分の認識や考えが断片的で薄っぺらいものだったかを思い知った。自分の「人間中心主義」の根深さを恥じたい。

肉牛、乳牛、豚、鶏、養殖魚などの家畜、犬や猫などのペット、マウスやウサギなどの実験動物の置かれている、あまりに残酷な現状には、耳をふさぎ、目を覆いたくなる。ただ、一方には、その現状に対するカウンターの思想や行動も起きている。たとえば、動物の福祉、動物の解放、環境倫理学など。くわしくは本書を読んでいただくとして、そこで問われているのは、誰を「私たち」に入れるのかという線引きの問題でもあるだろう。それは「家族」なのか、「国民」なのか、「人類」なのか、動物を含めた「感覚ある存在」なのか、「生態系」そのものなのか。線引きすれば、そこから向こうは、「私たち」のために利用していい存在ということになってしまう。事実、「私たち」は「私たち」以外の人びとを、動植物や自然環境を、道具のように利用して生きている。

著者の生田武志は言う。

  わたしたちにとって「希望」は、犬や猫などの伴侶動物、牛や豚や鶏などの家畜、そしてさまざまな野生動物と共存し、そこから「喜びに満ち、相互に高め合う」関係を創造することなのかもしれません。それは、わたしたちと動物たちが共生しつつ、今までの「国家・資本・家族」を相対化し、別の「社会」の可能性を創り出すことを意味しています。

●野宿者問題から

ところで、著者の生田武志は、動物問題の「専門家」ではまったくない。80年代から大阪の「釜ヶ崎」を中心に、野宿者問題や貧困問題について考え、夜回り活動などをしてきた人だ。

生田は「野宿問題は労働市場(資本)、家族の相互扶助、国家の社会保障の崩壊によって起こります」と言う。国家・資本・家族それぞれから排除されたところに、野宿者はいる。しかし、街中で野宿者の姿を見かけても、人びとは「私たち」の外の置いてしまう。だから、かなりひんぱんに襲撃事件などが起きていても、世間の関心は低く、「なかったこと」にしてしまっている。

一方で、「国家・資本・家族」のありようは目まぐるしく変容していて、そこからは野宿者だけではなく、たくさんの人が排除されるようになった。それでも、お金のある人は、「福祉」も「治安」も「教育」も商品として買えるが、お金のない人は、そのどれからもこぼれてしまう。そして、そういう社会の先に希望は見いだせない。

●動物たちとの「共闘」

そうしたなか、国家・資本・家族から排除された人たち、そして動物たちが「共闘」することは可能か。いわば、新たな「家族」「群れ」となって、現在の社会からの出口を捜すことはできるか。それが、本書の壮大なテーマだ(この私の下手くそな書評では、なかなかピンときてもらえないかもしれないが……。)

本書を書く以前から、生田の問題意識はずっと、「国家・資本・家族」を相対化する、別の社会を模索することにあった。それを「国家」に対して言う場合はNGO(Non-Governmental Organiztion)、「資本」に対して言う場合はNPO(Non-Profit Organiztion)と言うが、「家族」に対してもNFO(Non-Family Organiztion)と言えるのではないか、と生田は言っていた(*)。そこに、動物までが含まれているとは、私は想像していなかった。しかし、生田は、野宿している人が、自分のわずかばかりの生活費を削ってでも、犬や猫とともに生きている姿のなかに、その共闘の姿を見ている。

動物を、たんに「食材」とするのでもなく、なぐさめとしての「ペット」とするのでもなく、あらたな社会へ向かって共に闘っていく存在とする。そこに必要なのは「いのちへの礼儀」だ。それはまた、自分自身の「いのちへの礼儀」でもある。人や動植物を、自分の利益のためだけの道具として扱うのではなく、いらなくなったら棄てるのではなく、礼儀をもってかかわること。それは、「国家・資本・家族」の枠組みに安住していたり、それを守ろうとしているうちには難しいのかもしれない。そこから排除されて、はじめて、私たちは「共闘」できるのかもしれない。

いま、新型コロナウィルスによって、これまでの「国家・資本・家族」のあり方は根底から問われ、誰もが、そこに直面している。それはたいへんな危機ではあるけれども、逆に言えば、希望なのだと思う。この事態のさなか、本書を読むことができてよかったと、心の底から思う。


*生田武志 2007 「フリーター≒ニート≒ホームレス――ポスト工業化日本社会の若年労働・家族・ジェンダー」『フリーターズフリーVOL.01』人文書院


生田武志『いのちへの礼儀』筑摩書房(2019年3月刊)

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