子どもの自殺増加と夏休みの問題について

子どもの自殺が増えている。2020年の小中高生の自殺者数は499人、前年から25%増え、統計の残る1980年以降では最多となった(厚生労働省「自殺の統計」)。とくに女子の増加が顕著で、前年比66%増の219人となっている。文科省の自殺予防に関する有識者会議は、コロナ禍における学校の一斉休業などが影響しており、とりわけ家庭に居場所のない子どもたちが追いつめられた可能性を示唆、「家庭が子どもを支える最重要の環境として機能しないばかりか、子どもの安全を脅かすことにもつながっている可能性すらある」との見方を示した。

また、少し前になるが、2015年の自殺対策白書では、過去40年間の18歳以下の自殺者を日別に集計した結果、9月1日や4月初旬など長期休み明けに自殺者が突出して多いことが示されている。学校と子どもの自殺には密接な関係があると言える。では、こうした事態に対し、どうしていったらよいのだろうか。

たとえば、フリースクールなどの関係者は、毎年、夏休み明けに「学校ムリでもここあるよ」というキャンペーンを実施している。不登校という文脈からすると、学校に行きたくない子どもにとって、長期の休み明けが死を思うほど追いつめられる時期であることはたしかだ。そういう意味では、学校の外にも子どもの行ける場所がある、学校の外でも生きている子がいるということを可視化することに意味はあるだろう。しかし、コロナ禍で明らかになったのは、むしろ家庭がムリで、かろうじて学校が居場所になっていた子どもにとっては、学校の長期休みこそが追いつめられる要因となったということだろう。この数年、夏休みの終わりごろになると、マスメディアを含めて大々的にキャンペーンが実施されてきたのだが、私はこのキャンペーンはやめるべきだと思っている。


●SOSを出せずにいるのは

一方、先述の文科省の有識者会議は、子どもにSOSの出し方を教育すべきだと提案している。たしかに、助けを求めることは大事にちがいない。学校現場での取り組みは重要だろう。しかし、その教える側である教員はSOSを出せているだろうか。SOSを出せず、自力でがんばらないといけないと呪縛されているのは、教員も同じではないか。まず必要なのは、教員みずからが自力で解決するという呪縛を解くことではないか。そのためには、教員への研修も必要かもしれないが、それ以前に教員の労働状況を問うことが必要だろう。

あるいは、親も同じで、親自身が自力でがんばることに呪縛され、SOSを出せないでいる。ここにおいても、まずは親の置かれている状況を問わないといけない。子どもの自殺は、子どもの置かれている状況の問題でもあるが、大人の置かれている状況の問題でもある。いずれにしても、状況を問う視座を持たずに対処を考えるばかりでは、弥縫(びほう)策に終わってしまう。大人に求められているのは、子どもに教育するというよりも、子どもとともに、自分たちの置かれている社会状況を考えていくことではないだろうか。


*人民新聞2021年7月15日号に執筆した記事を、編集部の了解を得て転載。字数に制限があるので、東京シューレにおける性暴力事件とその後の対応、二次加害の問題については触れていないが、この問題を抜きにしても、このキャンペーンはやめるべきだと私は考えている。


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