#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。

#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。

2015年に内閣府から過去40年間の18歳以下の日別自殺者数が発表され、夏休み明けなど長期の休み明けに顕著に自殺者数が多いことが明らかになりました。それ以降、フリースクールなどの関係者が夏休みの終わりごろから居場所の無料開放などの取り組みを始め、それが「#学校ムリでもここあるよ」のキャンペーンにつながっていきました。

私自身がかかわっているフリースクールにおいても、おそらくは他団体よりも早くから、こうした取り組みをしてきました。学校でも家庭でもない第3の居場所の取り組みは大事なものだと思います。しかし、数年前より、このキャンペーンはやめるべきだと私は考えてきました。以下、その理由を述べます。


1.マスメディアの影響

もともとは地道な取り組みだったものが、マスメディアで大きく報道されるようになり、年々、エスカレートしていきました。周囲への注意喚起であれば、こうした報道にも意味はあるように思います。しかし、私が目にしたかぎりでは、主として子ども本人に向けて「死にたいほどつらいなら逃げてもいい」といったメッセージが、くり返されてきたように思います。渦中にある子どもにとっては、こうしたメッセージが何度もくり返されるのは、むしろしんどいのではないか、ややもすれば、それはかえって希死念慮をあおることにもなりかねないのではないかと懸念しています。


2.自殺者数の増加

キャンペーンを開始後、むしろ子どもの自殺者数は増えています。キャンペーンによってあおられた結果だと短絡するつもりはありませんが、少なくとも、キャンペーンは功を奏していないと言えます。また、主催者側から、キャンペーン開始後に自殺者数が増加していることについて、それをどのように受けとめ、キャンペーンを見直したのかという見解を、私は目にしていません(見過ごしているのかもしれませんが)。


3.短絡化しすぎているのではないか

この時期にかぎって、自殺に焦点をあててキャンペーンすることはやめるべきだと思います。長期の休み明けに子どもの自殺者数が顕著に多いことは統計で明らかになったわけですが、その事態に対する取り組みは、このキャンペーンのようなかたちが望ましいのでしょうか。このキャンペーンは、自殺と不登校の問題を短絡化しすぎているように思います。くり返し申し上げれば、学校でも家庭でもない第3の居場所の取り組みは大事だと思いますが、それは地道に継続して行なわれていることが重要なのであって、自殺に焦点化してキャンペーンをすることが居場所の取り組みを拡げることになるとは思いません。


4.コロナ禍からうかがえること

2020年は、さらに子どもの自殺が増加しました。文科省の自殺予防に関する有識者会議は、コロナ禍における学校の一斉休業などが影響しており、とりわけ家庭に居場所のない子どもたちが追いつめられた可能性を示唆、「家庭が子どもを支える最重要の環境として機能しないばかりか、子どもの安全を脅かすことにもつながっている可能性すらある」との見方を示しています。家庭に居場所がなく、かろうじて学校だけが居場所となっている子どもにとっては、学校の長期休みこそが追いつめられる要因となっているのではないかと思われます。こうした事態に対し、「学校ムリでもここあるよ」というメッセージは、あまりに一面的だというほかありません。


5.東京シューレにおける性暴力事件と二次加害の問題

フリースクールの運動を中心的に担ってきた東京シューレにおいて、過去に性暴力事件が起きていたことが、被害者の提訴した裁判によって明らかになりました。ここでこの問題の詳細に立ち入ることは控えますが、被害者の方は、いわば「学校ムリでもここある」と思って出会った場所で深刻な被害に遭い、いまなお苦しんでいることがうかがえます。また、東京シューレの裁判和解後の対応、フリースクール全国ネットワークの対応、全国不登校新聞社の沈黙などは、二次加害を積み重ねてきたように思います。この事件については、一次加害の検証もまだ済んでおらず、二次加害についても、きちんと検証すべきことと思います。そうした検証作業も済んでいないなか、「学校ムリでもここあるよ」とキャンペーンをくり返すことは、被害者の訴えをなかったもののように扱い、さらなる二次加害を重ねることになるように思います。


以上の理由から、#学校ムリでもここあるよ キャンペーンの中止を求めます。

2021年7月29日
山下耕平

コメント

  1. この様な意見表明は、とても重要だと思います。ありがとうございます!うちは「死ぬな」とは言い切れない社会責任を訴えつつ、「ゆるく」参加しながら、考えています。

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