書評:栗田隆子『呻きから始まる 祈りと行動に関する24の手紙』

おそろしいほど正直で誠実な本だと思った。

この本は、著者の栗田隆子さんの個人史でもあり、そこから読者へ宛てられた「手紙」でもある。栗田さんは、不登校(登校拒否)の経験に始まり、カトリックとの出会い、フェミニズムとの出会い、社会運動との出会い、うつ病との出会い(?)など、さまざまな出会いのなかで、活動してこられた。その行動の表面だけを見れば、支離滅裂なように見えるかもしれないが、私は、とても首尾一貫しているように感じた。なんというか、徹底して自分に正直に生きているのだ。自他に対して、おべんちゃらを言ってごまかすようなことがなく、それゆえに組織などとは折り合いが合わず、組織の代表を引き受けていても、ぶん投げてやめてしまう。ただ、それは自分で自分をコントロールしてやっていることではなく、自己コントロールを超えた何かに導かれるようにして、自分の正直なところと向き合うなかで、自己決定された結果なのだろう。それは、「呻き」でもあり、「祈り」につながっているのだと思う。

私たちが何を「問題」とし、何を「問題」としないかというその線引きの仕方こそが、 目につきにくい「問題」ではないでしょうか。そして、そのような苦しみや悲しみを既存の「問題」の枠組みに無理やり当てはめるのではなく名前がないままに受けいれること、その実践の第一歩が私にとっての「祈り」だったと言えます。(#24心に留めること/糧)

詳細は、本書を読んでいただくとして、私は栗田さんの「手紙」を受けとって、自分が自分に正直であるか、ものごとを既存の問題の枠組みに当てはめてわかった気になっていないか、自分の足下の問題をちゃんと見ることができているか、足下を問わずに言葉だけ饒舌になっていないか、などなど、さまざまな自問が湧いてきた。その自問については、また、折々に言葉にしていきたい。

この本をひとつの「糧」とするならば、この「糧」は多くの人と分かち合いたい。あるいは、この本が一粒の「麦」だとすれば、読者のもとに落ちてこそ、実るものがあるにちがいない。この「麦」が、ひとりでも多くの人のもとに落ちますように。



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