「鬼はソト」問題-2
「鬼はソト」問題について、もう少し考えてみたい。
先の記事では、小集団のなかでの対話の難しさについて考えたが、場のなかで何か被害が生じたときにも、同じ構造の問題はあるように思う。たとえば、パワハラが生じやすいのも、パワハラが生じた際にその被害を訴えにくいのも、場が温情的なタテ関係で成り立っていることに問題があるように思う。その場における中心的な人物が、その力関係のなかでハラスメント行為をしているとき、それは場のノリをつくっていて、そのノリが場を構成している。それは、いじめの構造と同じで、いじめは加害者と被害者だけではなく、聴衆や傍観者を含んだ場の構造として生じている。それゆえ、被害者は、被害を被害として認識することすら難しく、それがおかしいと思っても、被害を訴えることは、加害者を訴えるだけでは済まず、場そのものを壊してしまうのではないかとおそれざるを得ない。そのため、いじめやハラスメントはエスカレートしてしまう。被害者は、その場のソトに出ないかぎり、被害を自覚することも、それを訴えることも難しい。場のウチでは、ノリに同調する人しか生きられないようになっている。
先日、NHKで放送された「六畳間のピアノマン」というドラマでも、パワハラを受けている新入社員が、上司からどんなに理不尽な目に遭っても、それを自分への指導として捉え、居場所を失うことへの恐怖から、被害を被害として認識できずにいるようすが描かれていた。また、その場から離れても、なかなか、そのときの関係の支配から逃れることが難しい。温情的なタテ関係のなかでの支配は、人の内面を深く侵食してしまうのだろう。その支配から逃れるには、その被害がきちんと周囲に受けとめられる必要があるし、ほんとうは、そこに関わっていた、その場にいた人たちが、その構造のそもそものおかしさを共有し、問い直していく道筋が必要なのだと思う。
被害に遭った人だけがソトに出て、そこから問題を訴えても、その訴えは表面的にしか受けとめられず、場のウチにいる人には、なかなか受けとめられないことが多い。あるいは、加害の問題が明らかになっても、今度は加害者もソトへと排除し、「鬼」とすることで、場を維持していこうとする。そうなると、問題を生み出した構造はそのまま、被害者の訴えの根にある問いは無視されたまま、解決のための体裁だけがつくろわれることになる。
東京シューレにおける性被害事件においても、そういう構造的な問題があるのではないだろうか。なぜ、事件が生じたのか。なぜ、その問題が当時において明らかにされることがなかったのか。関係者は、例外的に起きていた事件だとしてソトに排除するのではなく、きちんと場のあり方を根本から問い直して検証しなければならない。それがなされないまま、自分たちの活動をアピールするような言動がなされるとき、それは二次加害として積み重なってしまう。私自身、事件のあったログハウスシューレに直接は関わっていなかったものの、かなり近いところにいた関係者のひとりとして、問い続けなければならないと思っている。
<「鬼はソト」問題-1
<「鬼はソト」問題-1
山下耕平様
返信削除初めまして。
突然のメッセージ失礼致します。
今回のログシューレの性加害事件に関連する、山下さんのご発言を読ませていただき、メッセージさせていただきます。
私の娘はログハウスシューレに、2000年5月前後に滞在しておりました。
私は、2019年にログシューレで起こった性加害事件のことを知り、娘と相談し、知人を通して、当時のログシューレでのスタッフの対応状況を奥地さんにメッセージを送ってもらいました。
当事、そこで当たり前のようにセクハラが行われていたことなどを伝え、そのスタッフにたいするシューレの任命責任を問いました。
その後知人を介して、奥地さんから手紙で返事をいただきました。
返事を読んでからは、娘も私も
それ以上のことを言えない気がしていました。
奥地さんの手紙は、言い訳と謝罪の繰り返しだけで、誠意を感じられませんでしたし、
決して、納得したわけではないのですが。
そしてその後、
シューレの「子供らの人権の保護に関する委員会、検証部会」から「性加害事件の検証、ヒアリングをするためのアンケート」への回答依頼があり、娘がそれに回答しました。
まだ十代の頃のことでもありますし、娘は相当の時間を費やし、思い出したくないことを思い出しながら、どんな立場の人がそれを読むのか気にしながら、言葉の使い方に悩みながら、アンケートに回答し、やっとのことで返信していましたが。。。
それは、中止になりました。
そこでも、
頑張って誠意を尽くした娘が、受け取れる誠意はありませんでした。
そして、この頃より少し前から、
実際の性被害者が、自らの思いを発信しているという中に、
居合わせるようなことが多くなりました。
娘は、それ以前からシューレとは関係ない性暴力体験により、男性恐怖心による引きこもりがちな状態にあったのですが、
この頃から、
頑張って発信している被害者の女性たちを知ることになり、
自分自身も、何かを発信しなければならないという気持ちに焦るようになったようでした。
しかし、なかなか思いをきちんと言葉で伝えることができず、そういう能力のない自分に嫌悪したり、さまざまな価値観の交錯するなかで混乱し、
また、性被害の実態を読んだりするなかで、
自身の性暴力被害による後遺症があったのがひどくなり、
自己コントロールが出来なくなり、どうしたら良いのか判断も出来なくなり、何も手につかなくなって、茫然としていることが多くなり、
大変精神的に不安定な状況が続くようになりました。
「性被害にあって辛い状況にある人が声をあげているのに、私は何もできない」といって、自己否定に陥ったり、
足を踏み入れたそこから、抜け出すことに罪悪感を感じたり、
そこで交わされるさまざまな非難の言葉や、判断の言葉に、自分で自分を縛ってしまっているような感じでした。
自分が元気になることさえ、許されないような感覚に陥ってしまう世界のなかで、
被害者の人たちが
声をあげる者をよしとし、声をあげない者を、頑張りが足りなかったり、勇気がないという弱さの象徴のように感じてしまうのは、
決して良いこととは思えません。
なぜこの娘たちのような、当事者であったり、被害者が、こんな思いをしなければならないのかと思います。
その周囲の親や関係者が何とかする問題ではないのかと、
もっと被害者は守られてもよいのではないかと
そう娘に話ながら、
娘がこの自分もなにか言わなければならないという、強迫観念から解放されるためには、
このことは、親である私が伝えていかなければならないことだと、思っていました。
そんななかでの昨日、
思いがけず
不登校ネットのNPOファミラボさんが、シユーレのあり方に異を唱えて、脱会されたというお話をお聞きし、
その決断に敬意を表したいと思いました。
そして改めて、
被害者自身ではなく、
私たちのような、当事者の親であったり、
シューレの関係者であったり、
本当に、子供たちの人権を守るために、
どうあればよいのかを考える者たちが集まって、
現実に今辛い思いをしている被害者の人たちの心を元気にするような、意思表示や活動ができないものだろうかと思います。
この性加害事件問題は、被害者に対して、とても繊細な対応を必要とするものだと思います。
できるだけ、被害者自身ではなく、その周囲の者が、声を発することの大切さを改めて思います。
改めて、私は、
奥地さんに、ログシューレのスタッフを任命したその責任を問います。
そして、性加害事件の起こった背景と、その後の経過を、説明していただきたいと思います。
どこに向かって、意見を発信して良いのかわからなくて、
こちらにコメントをさせていただきました。
また、被害者に更なる負担をかけたくないので、
どういう取り組みをしたら良いのかも、
私にはよくわかりません。
山下さんが、ご存じのことがありましたら、
教えていただけると有りがたく思います。
宮崎さま
削除たいへん苦しい状況におられるなか、コメントいただき、ありがとうございます。娘さんの苦しさ、いかばかりかと思いますし、ご家族も、たいへんつらい思いをされてきていることと思います。
おっしゃられるとおり、被害者ががんばらなければいけないというのは、そもそも問題で、周囲が受けとめて、きちんと考え合っていかなければならないことだと思います。ただ、おそらくは娘さんご自身、言いたいことはあるけれども、うまく言葉にならないという、もどかしさ、くやしさもあるのではないかとも感じました。そうであれば、その葛藤も含めて、周囲に受けとめられていくことが必要なのかもしれないですね……。
シューレの件については、第三者委員会が立ち上がると発表したあとに、いったん発表を撤回していたところまでしか把握できていません。その後、検証作業がどうなっているのか、たずねてみたいと思います。まずは、きちんと検証することが大事だと思っています。
また、今後、自分自身に何ができるか、すべきなのか、ひきつづき考えていきたいと思ってます。
山下耕平様
削除返信ありがとうございます。
また、ねぎらいの言葉も恐縮です。
娘とよく話してみたのですが、
「まず、健康を取り戻し、これまでやりかけていた製作の仕事ができるようになりたい」と娘は言っています。
その後、検証作業がどうなっているのか、たずねていただけるとのこと、
ありがとうございます。
よろしくお願い致します。
山下さんの活動を心から支援して、私もまた、できることをやっていこうと思います。