ブレーキをかけるべきではないか
夏休み明けに突出して子どもの自殺が多いということが、2015年に内閣府から発表されて、大きな話題となった。以来、この時期はマスコミが大きくこの話題を取り上げている。しかし、どうにもそれは上滑りしているように感じられてならない。 この時期が子どもにとって命に関わるほどしんどいということは、学校関係者、児童館や図書館の職員、親など、周囲の大人に対しての注意喚起としては必要なものだと思う。そのために、わかりやすく伝える必要もあるだろう。しかし、くり返されている「逃げてもいい」「死なないで」といったメッセージは、当事者に向かって発せられているにもかかわらず、顔の見えない、不特定多数に向かって繰り出されている言葉でもある。いま苦しい渦中にいる当事者に、はたして、それらの言葉は届いているのだろうか。 私自身、フリースクールなどを通じて、学校に行かない子どもたちと関わってきており、学校の外に子どもの居場所があることは重要だと感じてきた。夏休み明けの時期には、無料開放する取り組みなどもしてきた。しかし、フリースクールに来さえすれば、子どもが楽になるかと言えば、そう単純な話ではない。子どもが学校でつらかったことの経験や不登校の経験を自分なりに消化するのは、かなりの時間を要することだ。その子のつらさは、個別具体的なもので、一般論では片づけられない。ときに、学校に行かなくてよかったと思い、ときに行けなくなった自分を責め、揺らぎながら、だんだんに消化されていく。そこで、そばにいる大人にできることは、その揺らぎにつきあっていくことでもある。 そうした経験からすると、いまマスコミをにぎわせているような不特定多数に向かって発せられるメッセージは、渦中にいる子どもに響くとは思えない。 もうひとつ、懸念されるのは、かえって自殺をあおってしまうのではないかということだ。2017年の19歳以下の自殺者数は567人で、前年比47人増となっている( 警察庁発表 )。もちろん毎年増減はあるので、過熱報道によって自殺が煽られたと短絡するつもりはないが、報道関係者で、きちんとこの数字を省みた人はいるだろうか。 夏休み明けに突出して子どもの自殺者が多いというのは、たしかに重要な問題だ。しかし、当然のことだが、問題は自殺だけにあるのではない。子どもが死へと追いやられるほど、子どもにとって学校が苛...